1996年のピンボール。

NOHALAのギタボ。RAYのブログ。

クズの逆トーナメント戦。

RAYです。最近は更新の頻度が遅いのでついにインプットが大切だと本業の作曲も勿論のこと感じています。このブログのメインテーマになってる自叙伝的内容も食傷気味だし。。

しかし人生のインプットは騒がしい限りで、毎日何らかで揉め事が起きてる気がします。決して喜ばしいことではないけど、このイザコザが終わった後どんな言葉が僕の手元に残っているだろうと、心の何処かで胸騒ぎがします。というか、そういうメンタルに調教されてしまいました。

自称トラブル体質なので。普通の人よりはチョロチョロ動き回ってます。この前ある人に「今までどうやって生き延びてきたのか疑問でしかない」と言われました。まあ、トラブル体質の人間が生きていくコツはひたすら他人に甘えることですね。それと同時に自分の芯は死んでも曲げないことです。そう。性格悪く生きていかねばしんどいっす。この浮世は。

そんなこんな捻くれ者人生でもやはり、僕なんか凌駕するやべえ奴って掃いて捨てるほどいるものです。

性格の悪さ、金のだらしなさ、時間のだらしなさ。酒。顔、、色々やべえ奴にもジャンルはあれど、僕は陽気なクズは大好きです。ある程度ポカされてもまあ許してやれるし、見てて退屈しないから。

この前、英会話の授業の再履修に渋々通ってた時に同じクラスだったタメのやべえ奴(大4の代で渋々1年の必修取りに行く時点で既にふるいにかけられ、特別な事情の人を差し引けば僕含めまともな奴はまずいない)はオーストラリアに留学に行ったのに、喋るのが億劫すぎて必要最低限以上の外出はせず、ずっとホストファミリーの家で引きこもってたらしいです。唯一話せるようになった英語はホストファミリーに引きこもる言い訳で使う「僕もう眠いんだ」だけだったそう。。

「でも家でずっとホストファミリーの猫と遊んでたから、猫とは話せるようになったよね」と最後に笑いながら言う彼を見て僕は、「こいつ。。本物だ、、!!」と戦慄しました。パーフェクト陽気クズだ!!この手の陽気クズは実は頭がいいので、最後にウィットに富んだ冗談をあたかもジャブのようにかましてくるのです。そして何よりも全身から溢れる余裕と余計なプライドを全て捨て去った自然体。「俺はまあ許されるっしょ」的な原因不明の特権意識。かっけー、、。

「こいつできる。。」僕は確信したので昼休みに飲みに誘い、何杯かかまして2人で肩を組み爆笑しながら教室へ、、周りの「こいつらまさか。やりやがったな、、!」という視線。僕は授業途中で気持ちよくウトウトしてたけど、彼に関しては英会話の先生とマンツーマンで喋るハメに。。何言ってんのかマジわかんねえって顔で笑いながらずっとイエス、オーイエス!って言ってました。

ファッキンカオス、、汗

それからの1週間。気が向いたら午後の授業は日によっては普段よりかは幾分ハイテンションで受けていたかな、、?

 

有名な話に働きアリの法則なるものがありますね。巣の中の働きアリは2.3割くらいは実は怠けていて。怠けアリだけ集めて巣を作ったら今度は、その中の8割は途端に働き出すという話。

雑学で小耳に挟んだ程度なので、科学的なエビデンスは実際どうなのか分からないですが、もし本当だとしたら。「それ分かるわ」ってなります。学術論文ではないのでその辺はご容赦を。

 

この下に向かっていくトーナメント戦のようなアリ界の縮図は人の世も同じ。怠け者達が更に怠けてる者を叩く。ブルーハーツの歌詞みたいだけど、そりゃそうだ。巣の存続が懸かってきたら流石に焦る。今まで何とかなるっしょマインドで生きてきた者がいきなり力を発揮し始め、他の働かない者を指摘する。となると、「うわみんな頑張ってるしなぁ、、」という同調圧力の元、オセロのように怠け者は働き者に。そんな中でも動じない、「決して俺は働かねえ」という気持ちを持ち続けるある意味強者のみが勝ち残り、トーナメントは下へ下へと潜っていく。僕は一般的に見れば多少はその逆トーナメント戦への参加資格保有者かもしれないけれど、行けて第二予選止まりかと思います。。世の中下には下が、、いや、敬意を表して上には上がいると敢えて言わせて頂きたい。。本物のクズは天才にしか到達し得ない域なのです。有名な話で言えば、ヒモは少しでも就労意欲などの努力を見せると捨てられるというもの。一切の努力をしないのも逆にキツイですよね。これは世の中のスポーツや勉強にも等しい。苦とも思わずに突き進める者がトップになる。

 

僕の定義する「本物のやべえ奴」について簡単にまとめるとこんな感じ。

①決して自分を大きく見せようとしないし卑下もしない。

②確固たる自分の世界観があり。それ以外の社会的観点に興味がない。

③最早自分こそスタンダードだと本気で思っている。

 

まず、①について。

よくいる半端者に多いのが、男の女自慢。露悪的厨二病

例えば、「俺は実は〜股してるんだせ」とか。「不倫は文化」とか()

とにかく遊んでるアピール。これはいけない。何故ならそれはただの自分が何人も同時に付き合えるキャパを保有してて、しかもモテるという男特有の本能的な優位性のマウントの取り合いだから。むしろ健康体ということでアウト。女性に置き換えたら、「私は恋愛がクズで理想が高すぎるのかも。。この前デートした〜(学歴や職種、スペック)の〜歳が〜(大体一回り上)実はイマイチで、、」みたいな。そこら辺のちょづいてる女子大生(今日の僕は口が悪いです)みたいな。これも本能的な自己魅力アピール活動。全然アウトですね。

逆に卑下するのは「自称コミュ症」みたいなやつ。予めそう言っておけば、あまり話さなかったことの言い訳にできるという素晴らしい日本の文化なのでアウト。相手を敬って謙譲したり、余計な接触を避ける精神が見え見えです。いえ、大切なことですが。。本物でいるには、プライドもマナーもない。本当の自然体であることが必須であると僕は考えています。

 

②に関しては、①よりも難しい壁になります。誰もが多少は金や名声が欲しい。でも逆に金や名声だけでなく幸せな家庭や生活。上手くバランスがとりたい。こんな感じで生きたいはずです。

でもそんなバランス関係なしに一つの欲求に向かい突き進む者や、上記した全てに興味が無く。本当に無の境地にいる者のみに②が当てはまります。

 

③はとにかく普通の人間が感じるような罪悪感の麻痺。僕の敬愛するリリーフランキーが無職時代についてそのように語っていました。参考までに、、

https://www.google.co.jp/amp/s/dot.asahi.com/amp/dot/2018062700048.html

まあ。何が普通なのかなんて本当には皆分からないものだけれど。

 

という感じで。本物のやべえ奴ってなろうとしても中々なれないもの。

人によっては憧れを持つことだってあるでしょう。僕もその1人。憧れというよりも好奇心。

少し前。僕の界隈で少し話題になったシリアルキラー(連続殺人鬼)の絵画展。行ったんです。あの手の人間は大体芸術に優れていて、すごい絵を描くと言われているので、一体どんなやばい絵があるだろうと思って。

そしたら意外にも退屈だった。遺族の方がいるのに本当に申し訳ないが、そう思いました。大体のシリアルキラーは自分が悪魔に映る絵とか、化け物が追ってくる絵。幻覚の再現など、どれも脅迫的。安っぽくまとめてしまえば、「追い込まれた心境が現れたもの」

1つ1つの絵を見てから1人1人の人生を読んだところ。そういう絵を描く者は大体幼少期に過酷な虐待を受け育った者。殺人鬼はパッと生まれるものではない。社会が作るものだ。そう思ったし、これは重大な問題です。感動というよりも逆に考えさせられました。

その中で1つ僕の目を引いたものは、チャールズマンソンという人間のこの絵。

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決して殺人鬼そのものを賞賛する訳ではなく、シンプルにいいデザインだと思った。彼はカルト指導者であり、ドラッグ狂いのヒッピーでもあったそうで。他の殺人鬼とは一味異なる、ある意味ロックな人間だったそうです。実際音楽家でもあったそうで、、。賛否両論になりそうですが、敢えてロックと言っておきます。何度も言うけど、殺人を賞賛する訳ではないから。ただ、彼の人生が映画になったりとカルチャーを作ってしまった点で個人的には本物のやべえ奴だということを認めざる得ないです。

 

みんな実は密かにセレブやスポーツ選手と同じくらい奔放な「やべえ奴」に憧れがあるんだろうなって思います。現にシリアルキラー展なんかあるんだし。

僕も最初に言った通りやべえ奴大好きマンの1人。なれるかは分からないけど、むしろなろうとした時点でダメだから、本物だろうと半端者だろうと肩肘張らずに思ったことを叫び続けられるよう生きていくだけです。。

 

平成も後2ヶ月を切ったのかな?

まあ次の元号がやけに画数多くてイカついDQNネームみたいな「やべえやつ」になったとしても僕らの生活には何の変わりもないでしょうから今日も頑張っていきましょう、、!

僕の拙著を読んで頂きありがとうございました。最後に僕が「師匠」と呼んでいるおバカを飛び越えて芸術的な「やべえ奴」にふさわしいバンドを紹介して終わります。

 

Bloodhound Gang - Foxtrot Uniform Charlie Kilo

https://youtu.be/JZpxaiNV_sM