1996年のピンボール。

NOHALAのギタボ。RAYのブログ。

ど田舎の蜘蛛の巣がかかった自販機。

RAYです。

活動開始に向けて着々と準備を進めている訳だけど。とにかくもうこれからはもっと自分に正直に。出したい音、言いたいことを紡ぎたいと思ってます。今日はパンクロックエッセイを。

 

▪️将来の夢。世捨て人。

昔20年ぶりくらいに会った父親はど田舎の蜘蛛の巣がかかった自販機で100円で買った気の抜けたサイダーみたいだった。

もっとダースベイダーとか碇ゲンドウみたいな人物をイメージしていた。
古ぼけて縮こまっていて何処か窮屈そうだった。


レイくん。アメリカ西部開拓時代のゴールドラッシュの話は知っていますか?


ええ。鉱山から金が出てそれでバブルが起こった。


そう。そこで1番儲けた人間は誰だか知っていますか?


採掘道具を売り付けた商売人。


そうです。流石ですね。れいくんにはお金持ちになって欲しい。株のやり方を教えてあげましょう。あ、そうそう。最近では私は筒井康隆の文章がやはり日本一美しいと思っていてね。クドクドクドクド...


それが20年ぶりの再会で交わした会話。
姉から聞いたことがある。父は面白い人だ。
だけど親になる資格が無いだけだ。と。


なるほど。お金持ちか。
全く自分の方向性に無かったものだ。
何故なら世の中を舐めていたからだ。
まあ今も舐めている。
金なんて落ちてるの拾えば何とかなると思ってた。恵まれている環境で甘やかされていたからだ。今じゃそこそこ頑張っているつもりだ。


それはそうと。僕の親しんだ街池袋は失われてしまった。ホームレスは一掃されて一回も催しなんて見たこともない野外劇場が小綺麗に整備されて警備員まで配置された。サイゼリアのマグナムをテイクアウトして飲み込んで噴水に飛び込んで、OASISしか歌わない弾き語りのホームレスと一緒に歌うことももう叶わない。

僕の今住むこの街川崎はこのまま正直にいればよいと思う。
この前黒いベルファイアに乗った輩に因縁付けられて追いかけ回されたし、ベトナム人あたりが年に一回銃撃戦を始めて人様の国でてめえの国の総人口を減らしている。世界一お下劣な自由の女神が建っているラブホ。それに掛かる煙突の煙。仮に外をパジャマで歩いたとしても一切気にもならないよう配慮してくれている訳だ。


話題がコロコロ変わるのは学力はあるが人として境界線ギリギリの父親譲りだ。


いつか世捨て人になりたい。
真剣にそう思っていたし今も多少は思っている。


正確にいうと4歳くらいからか、半ば強制的にサッカーチーム付きの幼稚園に入ると、太ったクソガキにまた強制的に遊ぶ時の隊列を組まされた。
僕は1番サッカーが下手だから後ろ隊長だ。多分僕はエゴ最強だからそこで折れてくれてなけなしの隊長が語尾に付いたのだろう。
小学校に入ると、医者の息子のノッポなクソガキが僕をチビだと事あるごとにバカにしてきた。
だから1人になるタイミングを見計らって、後ろから袋叩きにしてやった。吐いてしまうまでやった。
先生はそれを見て殺人犯の行動だ!恐ろしい!と糾弾してきた。それに対して僕は人の見た目を自分がノッポだからとズカズカどうこう言う方がどうかしてると言ったが聞く耳も持たなかった。
学級裁判みたいになって、僕は理科の授業の校庭のアリジゴク探しをグループに入れずに1人ぼっちでやる刑を受けた。
母さんも狼狽していた。うちは片親だから舐められてるんだ。あの家のガキには手を出すなと。
僕はぽかーんとしていたが、謝りに行く度にうちより少し新しくて少し広い家を見せつけられたからこいつ偉いんだなとは感じた。
中学に上がれば、「いいか。学校とは桃源郷なのだ。貧富の差もなく平等に教育を受けることができる。」そう得意げに語る教師は平気で僕の胸ぐらを掴んで投げ飛ばしてくるし、塾通いの僕含め鼻持ちならないクソガキは道徳の授業中に志望校の過去問を解く。教育などはなから求めていないボーイズはPSP。ガールズはmixiに夢中だ。
校則という下らないローカルルールで管理されたくなかったので必死に勉強して校則のない高校に行った。何度かカンニングバレかけて死にかけたが割と楽しく過ごせた。赤髪で入学してきたせいで、勘違いされてアメフト部に絡まれてノリで入部したけど怖かったから1年頑張って辞めた。実家が太くて力持ちで、真面目なのに多少意地悪なこういう人間たちがいい企業に入ってイキイキ働くのかと思うと、僕には到底叶わないことだとある種彼らにリスペクトを持って自分の人生の方向性を再定義した。軽音部には僕みたいに軽く歪んだ子が多かったので、今でも無二の親友だ。
大学に間違えて行ってしまうと、今度は皆んなが立派すぎて居所が無かった。
無論留年して友達も居なくなったので、Tinderで出逢った同じ大学の週5居酒屋バイトとテニサーだけが生き甲斐の全然単位取れてない女の子と授業を受けた。
「建築を学びたかったけど、難しいし金もかかる。地元じゃ働き口もまともな大学もない。だから私は仕方なく此処にいる。」としきりに言ってきたので、適当に僕もそんなもんだよ。と返していた。


そう思い返せば僕は教育という管理体制の中で疎外感、矛盾の気付き。怒り。劣等感。自分の中にパンクを育てていた。


社会生活を営む以上、断ち切れない繋がりは幾重にも重なっているものだ。
音楽は、パンクは精神世界で僕がこの世のしがらみから逃れる唯一の手段であり救いだ。

 

と、まあこんな感じで昔話を展開してしまったけど、世の中から矛盾など無くならない訳だ。だからあなたなりの経験をもとに僕のパンクロックと響き合ってクスッと笑って頂けないかなあと思う。


ということで最近は曲作りで大変だけどこれからも楽しく頑張ります。


RAY