1996年のピンボール。

NOHALAのギタボ。RAYのブログ。

僕とニーチェ。

NOHALAのギタボ。RAYです。

寝付けない時に気を紛らわすため(?)ブログを始めることにしました。

自分でも「孤独な夜」って歌詞書きすぎなのを自覚しているレベルの寝られない子です

(Apple musicとかでも僕らの曲聴けます...)

Encounter

Encounter

  • NOHALA
  • パンク
  • ¥250

寝付けない夜ほど不毛なものは無いと思ってます。深夜で気が立ってるのか、「お。何か出てくるぞ」って思案が始まるけど大方空回るし、徹夜で書いた曲翌日聴くとダサい説とかありますよね。でも逆に僕は深夜が基本的な製作時間ではあるので「孤独な夜」はわりと僕の人生に貢献してくれているのかも。その反面、寝たい時に半端に臨戦態勢になるのがマジで辛い。まあそれが今ですね。

あと、深夜テンションで作るものは先程紹介した深夜作曲ダサい説もあるくらいだし、イタさ加減がすげえいい時は成功なのかもしれないけどイチかバチか要素はありますよね。

ということで深夜を迎えても頭の余熱冷めやらぬ、だけどいいアイデアは来ないぞって確信している時は少しでもブログとかでも形にして発散すれば痛々しい曲になるよりはマシだしアリなんじゃないのってなりました。

 

ちょっとある文を引用をします。

 

「自己嫌悪におちいったとき、何もかも面倒でいやになったとき、何をしてもくたびれて仕方ないとき、元気を取り戻すためには何をすべきだろう。

ギャンブル?宗教?流行のリラックス療法?ビタミン剤?旅行?飲酒?

そんなことよりも、食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。

しかも、いつもよりずっと多くだ。

目覚めたとき、新しい力が漲る別の自分になっているだろう。」

『漂泊者とその影』

 

これ。かの有名な哲学者ニーチェの言葉なんですね。あの、勿論これは抜き出した形なので、この前後こそが金言なんだよって話なのかもしれませんが、我々は手っ取り早く結論のみを知りたがる傾向があるため、「ニーチェを読む」的な自己啓発エッセンスな薄ーい本(下ネタじゃない)だとここだけ書いてあるんですね。多分。

で、俺がというか皆さんもちょっと感じたと思うのが、「は?当たり前じゃん?」てこと。

てか、寝る時間確保できたらたっぷり寝るしって忙しい方々の中に怒る人もいるかも。

この名言?勿論正論だし、有難い言葉なんだけど。相手は大哲学者って構えてたらこれ?って。拍子抜けしますよね。

でも世の中には一定数こういう美味しいとこセットでニーチェを理解した気になる人はいると思うんです。でも、それで完璧に分かった気になるのも危険ですよ。きっと。世の中、難しいテーマをなんかすごく省略していきなり結論を出すものがあるじゃないですか?「イソフラボンはまあ言うなれば神!だから納豆は神!痩せる!」とか。それはまだかわいいニセ科学だったけど(テレビ番組。発掘!あるある大事典での納豆ダイエットの捏造事件)、まあ早いとこ詐欺ですよね。

こういう物事の奥まで見ようとする視点をしっかり持つこと。曲がりなりにも心がけてはいます。僕騙されやすいですが、

ちなみにニーチェは読みました。公立中出身で受験終わって、授業中に。何もやることなかったし、ちゃんと学校には行ってた真面目だし。厨二病なんで「ニヒリズム?神は死んだ?なにそれカッコいい...」ていう動機でですね。薄ーいニーチェの解説本みたいなのから入って、読んで、「しょーもな」ってなって。そこから本物を読まないと理解できないと息巻いて「ツァラトゥストラはかく語りき」というニーチェの著作を読んで。そしたら今度は教えを説くのが「例え話」によってなんですね。記憶曖昧だけど、主人公のツァラトゥストラが目を覚まして、、山から降りて、、街に出て、、大道芸人に会って、、そしたらそいつ綱渡りで落っこちて死んで、、みたいな。進んでいく物語が精神の成長のメタファー的な??いや、それでみんな僕のクソ半端知識で「ふーん」てなってたらほんと申し訳ないのでこの辺でやめときます。まあ結論から言うと、一章あたりで投げ捨てました。クソ喰らえってなりました。薄ーい自己啓発本も。ニーチェの著作も。どっちも。

それ以来、僕は哲学なんかどうでもいいやと思ったし、8個上のセクシーな姉が「レイくん。そんな思想みたいなのにハマったら、坊主になるか、ベジタリアンになるよ」とちょっと差別発言スレスレをかましてきたので。僕は平和に俗まみれで生きてます。お酒弱いけど好きだし。女の子大好きだし。勉強は嫌いですね。

あと1つ、話変わりますけど僕はパンクが好きです。

 

挫折した思想の勉強に対して「パンク」は基本俗人間な僕の唯一の支えです。もう一つの視点を持つ大切さを意識したキッカケとも言えます。

パンクは一言で言うと小難しいものを超簡単するものです。7分の曲を2分に。4.5個で構成される音の交わりをたった2つに。

あれ?詐欺もそうじゃんってなりますよね?

パンクと詐欺は大きな異なる点があって、それは。「パンクは答えを教えてくれはしないってことです。」きっと。パンクは視点であって答えではない。うん。。

僕パンクパンク言ってるけど全然テンションコード(4.5個で構成される音の交わり...)使うし、7分の曲だって作りたい。つまり形なんてあんま関係ねえってこと。簡単じゃないとパンクじゃないとかそうじゃない。(初期パンクのアーティストの方々も初期パンクの音楽性に飽きたら、レゲエしたり。ニューウェーブしたり。実験音楽したり、はたまた芥川賞とったりもしてます。)

答えでなく視点だってことを例えると、最近話題のウーマンラッシュアワーの時事ネタ。賛否両論あるし、村本自身はこれも外タレにとっては伝統やでってツイートしてたけど、最後の「お前たちのことだ」ってオチってより問題提起ですよね。あれパンクだと思うんです。お前らもやってみろや?みたいな。提示するものですよね。しっかり自分で解かせる訳だからもし解けたら嘘偽りなく本物ですよね。

だから、僕はパンクによって与えられた物事を考える視点を大切にしたい。

 

なんか言いたいことなんとかまとまったくさいので今日はこれまでにします。読んでくれた方。お付き合いありがとうございました。

このテーマに関してはもっと掘り下げて再挑戦してみたいです。精進します...

 

RAY